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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和43年(う)15号 判決 1972年10月19日

被告人 畑中渡

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人市島成一、同大橋茹連名提出の控訴趣意書に、その訂正、補充は、同控訴趣意書補充訂正の申立書、同昭和四四・四・一付(付昭和四四・五・二一提出にかかる提出書類の訂正表)、同昭和四五・一二・三付(付当審第九回公判調書末尾添付の一覧表)各上申書、弁護人大橋茹提出の収賄被告事件弁論要旨と題する書面、同昭和四六・七・二付収賄被告事件追加申立書、同昭和四六・八・一九付収賄被告事件上申書、同昭和四六・一二・一六付追加上申書、同昭和四七・七・一二付収賄被告事件上申書、弁護人市島成一提出の弁論要旨と題する書面、同弁論要旨(第二次)と題する書面に、これらに対する答弁は、検察官検事宇治宗義提出の検察官の答弁の要旨と題する書面、同検察官の答弁要旨(第二回)と題する書面に、それぞれ記載のとおりであるから、ここにこれらの記載を引用する。

第一、控訴趣意第一点、事実誤認、法令の解釈適用の誤りの主張に対する判断

一、控訴趣意の要旨ないし争点

所論は無罪を主張するが、その要旨は、まず、被告人は、贈賄者と目されている伊藤忠商事株式会社(以下伊藤忠と略称する。)側に対し何等対価を受けるに値する行為をしておらず、原判示のような「請託」を受けたこともなければ、これを受託して「好意ある取扱い」をした事実も全く認められない。それどころか、被告人は、鯖江市長らの依頼に基づき、請負金額の減額方を折衝したり、工事の手直しを要求する等、伊藤忠側にとつて不利益な行動さえ敢えてしている。もつとも、僅かに、伊藤忠が競争入札業者に指名されるについて多少の尽力をした事実は認められるが、これとても被告人の職務上の行動ではなく、被告人個人としての幹旋に過ぎないし、ましてや、これをもつて一、二〇〇万円という巨額の賄賂に価する行為とみるには全く均衡を失している。このことからすれば、たとえ本件において、贈収賄の約束や金員の授受があつたものとしても、到底右金員を賄賂とみることは不可能である。次に、本件の事実関係における最も重要な争点であり、本件を贈収賄事件とみるうえに致命的な障害となるべき事実は、贈賄者とされている原審相被告人名和らと収賄者と目された被告人との間に、原審相被告人多田の独自の意思と行動が介入していることである。すなわち、もともと本件贈収賄の約束なるものは、被告人を除外して、原審相被告人多田と、同古林、同前中との間において取り決められたものであり、これによる伊藤忠からの出金はすべて約束手形により多田に交付されたものであるところ、多田は、伊藤忠側の意に反し、擅に一旦これらを多田個人の資産に繰り入れ、その後ことさら複雑な操作を経て、その一部を多田の独自の意向により、貨借の形で被告人に交付し、金利を収受し、逐次これら貸金の返済を受けて来たものである。しかも、多田は、当初伊藤忠側原審相被告人らに対し、被告人の他に鯖江市長ら市の理事者に対しても贈賄する旨を約していながら、同人の一存でこれを実行しなかつたばかりか、被告人に対し交付した金員の数額をも報告しなかつたものである。このようにして、伊藤忠側の出損は、多田の意思と行為の介入により、その性格、趣旨、金額において全く違つた形のものとなつて被告人に渡るという極めて特異な結果となつたものであるが、このようなことは、伊藤忠側原審相被告人らの全く予想もしなかつたことであるから、同人らに贈賄の意思とその着手行為があつたとしても、その意思は、右多田の介入のために完全に中断され、相手方たる被告人には到達しなかつたものであり、同人らの所為は贈賄罪の未遂に止まるものである。しかるに、これらの事実を看過して、被告人を受託収賄罪に問擬した原判決は、多田の自白を過信し、信用すべき被告人の供述を理由なく排斥した結果、事実を誤認したものであり、ひいては法令の解釈適用を誤つたものであるから、破棄を免れないと主張するものであり、原判決の理由一、罪となるべき事実第二の事実中一ないし四の収受の事実(以下、「第二の一の事実」というように略記する。)に対する主張の要旨は左のとおりである。

1  第二の一の事実について

原判示現金は全く受領していない。

2  第二の二の事実について

原判示年月日頃、原判示小切手一通を他の金額一、〇一五、〇〇〇円の小切手と合せて受領したことは認めるが、それらは、先に被告人個人と多田とが割引金を共同で使用するために、昭和三六年一二月二八日畑中繊維工業株式会社(以下畑中会社と略称する。)が振出した金額合計二、七九一、二三〇円の約束手形三通を決済するために受領したものに過ぎない。そのうち被告人個人が多田に対し更に借用証を差入れて借り継いだ分一三〇万円は、昭和四四・四・一付上申書添付一覧表第六表(最終的な主張と認められる。)のとおり返済した。

3  第二の三の事実について

原判示年月日頃、原判示小切手二通を受領したことは認めるが、これは、先に多田から割引を受けた昭和三七・四・一〇畑中会社振出の金額合計二、七五一、五三五円の約束手形三通の決済にあたり、多田に対し更に借用書を差入れて同会社が借り継ぎをしたものに過ぎない。右借受金については、昭和四六・一二・三付上申書の補足表中「借用書借入分五四五万円の内入返済」欄(最終的な主張と認められる。)に記載のとおり内入返済をしている。

4  第二の四の事実について

原判示現金については全く受領していない。原判示年月日頃、原判示小切手一通を受領したことは認めるが、これは、先に多田から割引を受けた昭和三七・八・四畑中会社振出の金額合計二、七四八、四六五円の約束手形三通の決済にあたり、多田に対し更に借用証を差入れて同会社が借り継ぎをしたものに過ぎない。右借受金については、前項と同様に内入返済している。

二、原審相被告人らの供述の概観

本件公訴にかかる犯罪事実について、被告人は、ほぼ一貫して無罪を主張しているところ、その余の原審相被告人名和弘員、同古林秀雄、同前中貫、同多田正治の各供述をみると、名和、古林、前中は、原審公判の冒頭において、贈賄の事実を否認していたが、各被告人質問の段階で、名和は、古林、前中から、鯖江市庁舎の建設工事を二億二、〇〇〇万円で請負うについては、多田を通じて被告人畑中ら市の関係者に一、五〇〇万円の謝礼を出さねばならないという話を聞いたことがあり、その謝礼を出す出さぬは、伊藤忠の下請をする生研建設株式会社のすることであるので、名和としてはこれに関与しなかった旨陳述し、古林は、前中と共に、被告人畑中らの尽力によつて伊藤忠が鯖江市庁舎建設工事の競争入札業者に加えて貰い、工事を請負うことができたことの謝礼として、一、二〇〇万円を出すことを多田との間に承諾し、前後四回に亘り、合計一、二〇〇万円を多田に交付したことを認めるに至り、前中も古林と同様の供述をしている。なお、右三名の検察官に対する供述調書における供述内容は、ほぼ公訴事実に副うものである、他方、多田は、捜査段階の当初から一貫して贈賄の事実を認める供述をしている。

三、被告人畑中の供述の信用性

そもそも、被告人に対する本件公訴事実を認定し得るか否かは、もつぱら原審相被告人多田の供述の信用性如何にかかつているというも過言ではなく、その供述に全幅の信頼を措くことができるならば、その余の共犯者らの供述、捜査官の捜査報告書等及び押収にかかる会計帳簿等の証拠物と相俟つて、被告人に対する本件公訴事実は、そのことごとくを認定することが可能である。そこで、以下に右多田の供述の信用性に検討を加えるのであるが、その過程として、まず、多田の供述と対立する被告人のいわゆる弁済に関する供述部分の真実性如何について考察することとする。被告人は、本件公訴事実に対する認否として、原判示請託を受けたこと、その請託を受けたことなどの謝礼として賄賂を受取る約束をしたこと、賄賂を収受したことの全部を否認する供述をしているところ、その弁解の根幹となるものは、受領の事実自体を否認している原判示現金の点は別として、受領した小切手に関し、同額の金員をあらためて多田から借り継ぎをし、借受金となつたものであると主張し、その賄賂性を否認するにあるものと解せられるところ、多田は、右主張事実を全く否定している。そして、その主張の真否をめぐり、原審及び当審を通じ当事者が立証に努めたところである。そこで、所論が右の借受金であることの徴憑として主張する諸事実の存否その他被告人の弁解の真否に関連する情況等について記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して審案することとする。

1  返済の事実の存否

この点に関し、多田は、所論主張の趣旨のもとに返済を受けた事実は全くないと否定する供述をしている。

(一) 前記一の2に記載の返済の主張について

(1) 昭和四四・四・一付上申書添付の一覧表第六表中昭和三七・二・二二、現金五二三、〇〇〇円(原審よりの主張)

当裁判所昭和四三年(押)第九号の七三(以下押収にかかる証拠物は、すべて符号のみをもつて標示する。)の手帳(昭和三七年度の被告人個人の手帳)によれば、その中程の日付が印刷されていない罫紙の部分に、標記一覧表中の借用金返済内訳の記載にほぼ相応するメモがなされているが、その中に「三七・二・二二本人引出多田君渡小切手No.五四二三四、¥五四八三七三」と書き(右手帳には横書きで、数字もアラビア数字を用いて記載されているが、ここでは便宜右のように記載する。以下証拠物の摘記については同様とする。)、その「¥五四八三七三」を抹消し、その上部に改めて「¥五二三、〇〇〇」と記載されている。そこで、右小切手の交付先をみるに、符七四号の小切手帳によれば、渡先「野村証券」、摘要「共立代金」となつているから、これに本杉光具の司法警察員に対する供述調書を併せると、右小切手については、これにより野村証券株式会社福井支店が、被告人の共立農機株式会社の株式買入代金として五四八、三七三円を受領したものであることが認められる。そうだとすると、標記金員を多田に支払つた事実はなかつたものと推認される。所論に副う原審第一〇回公判調書中証人畑中澄子の供述部分は、符七二号の捜査関係事項照会書に対する武生信用金庫回答書に照して措信できない。

(2) 同昭和三七・四・一〇、現金一五〇、〇〇〇円(原審よりの主張)

符七三号の前記メモによれば、「三七・三・一〇本人引出多田君渡、小切手No.五四二三七、¥一五〇、〇〇〇」と記載されている(主張とは日付が異なる。)。そこで、右小切手の交付先をみるに、符七四号の小切手控によれば、渡先「山品」となつており、これに戸田貞蔵の検察事務官に対する供述調書、山品喜代能の司法警察員に対する供述調書等を併せると、右金員は、被告人が昭和三七年一月七日自動車による致死事故を惹起し、その被害者の妻山品喜代能に支払つた示談金三〇万円の一部であるものと認められる。そして、右小切手控の中には、右小切手の他に、同年四月一〇日頃金額一五〇、〇〇〇円の小切手を振出した旨の記載はない。したがって、標記金員を多田に支払つた事実はなかつたものと推認される。所論の主張に副う原審第一〇回、当審第五回公判調書中証人横井利枝の各供述部分は、右に認定したところに照して措信できない。

(3) 同昭和三七・五・二、現金一〇〇、〇〇〇円(原審よりの主張)

符七三号の前記メモによれば、「三七・五・二本人引出多田君渡、小切手No.五四二四三、¥一〇〇、〇〇〇」と記載されているので、右小切手の交付先をみるに、符七四号の小切手控には渡先「現金」、摘要「新福井へ」と記載されており、福井銀行新福井支店における原裁判所の検証調書添付の写真三によれば、被告人の匿名福田高二名義の口座へ昭和三七年五月二日一〇〇、〇〇〇円入金となっているが、その前日の四月三〇日には四三、六六〇円の借越となつているので、右一〇〇、〇〇〇円はこの借越に対する入金であつたものと認められる。そうだとすると、標記金員を多田に支払つた事実はなかつたものと推認される。

(4) 同昭和三七・八・一〇、現金一一〇、〇〇〇円(原審よりの主張)

符七三号の前記メモによれば「三七・八・一〇、本人引出多田君渡、小切手No.九九三一〇、¥一一〇、〇〇〇」と記載されている。ところで、福井銀行神明支店における原裁判所の検証調書添付の当座勘定元帳中畑中渡名義の口座のリコピー(四〇)によれば、同小切手は、福井銀行神明支店の被告人個人の口座からのものであるところ、符八六号の一、二の小切手写真によれば、同小切手の表には「三七・八・七福井銀行新福井支店出納済」の印が押捺され、裏書人は「高田高治」(被告人が裏口座名義に使用している「福田高二」に類似している。)となつている。これに、証人渡辺勗に対する原裁判所の尋問調書を併せると、同小切手は、福井銀行新福井支店において被告人から呈示され、同支店において代払いされたものであることが認められる。そして、同銀行新福井支店における原裁判所の検証調書添付の写真四によれば、福田高二名義の口座へ昭和三七年八月七日一五〇、五〇〇円が入金となっているから(それまでの残高は三〇〇円となっている。)、同小切手による一一〇、〇〇〇円にこの入金の一部でもあるものと推認される。なお、標記返済主張の日が、後記(二)の(2)におけるそれと同日であることからすると、主張自体も不自然であるといわざるを得ない。そうだとすると、標記金員を多田に支払つた事実はなかったものと推認される。

(5) 同昭和三七・一一・九、現金五〇、〇〇〇円(原審では原判示第二の三、四の事実についての主張)

(6) 同日、現金七〇、〇〇〇円(右同)

符七三号の前記メモによれば、「三七・一一・九、本人引出多田君渡、小切手No.九九三一五、¥五〇、〇〇〇、No.九九三一七、¥七〇、〇〇〇」と記載されており、証人渡辺勗に対する原裁判所の尋問調書によれば、右二通の小切手金は、いずれも被告人に対し現金により支払われたことが認められる。しかし、原判示第二の四の収受の事実中、原判示金額二、七〇〇、〇〇〇円の小切手一通を受領した事実は被告人も自認しているところ、被告人の検察官に対する昭和四〇・二・一六付、同月一八付各供述調書、原審第六回公判調書中証人西田孝の供述部分、証人山本秀一に対する原裁判所の尋問調書によれば、被告人は、右小切手を昭和三七年一一月九日福井銀行新福井支店へ持参し、その小切手金のうち七〇〇、〇〇〇円を現金で受領しており、その余の二、〇〇〇、〇〇〇円のみが翌一〇日、同支店の福田高二名義の口座へ入金され、それ以前に高田高二名義で振出され、同支店において代払いをしていた金額二、八〇〇、〇〇〇円の小切手(この小切手は同月九日、同銀行神明支店において決済すべき金額合計二、七四八、四六五円の約束手形三通の決済資金として振出されたもの。)の資金に充当されたこと、その後同月一三日に残額八〇〇、〇〇〇円が入金されたことが認められる。そこで、右の諸事実から考察すると、右一一月九日から同月一三日頃まで、被告人は、何らかの別の用途に現金を支払う差迫つた必要があつたものと認められるから、主張にかかる現金一二〇、〇〇〇円もそのための資金繰りに使用されたものとみるのがむしろ自然であり、その頃到底多田に対し標記のような金員を支払うだけの資金面での余裕はなかつたものと認められる。したがつて、この支払の事実はなかつたものと推認される。

(7) 同昭和三七・一二・二九、現金一〇〇、〇〇〇円(右同)

符七三号の前記メモによれば、「三七・一二・二九本人引出多田君渡、小切手No.九九三二五、¥一〇〇、〇〇〇」と記載されており、証人渡辺勗に対する原裁判所の尋問調書によれば、右小切手金で被告人に支払われたことが認められる。そして、被告人は、畑中会社の事務員谷川勇、同横井利枝を介して右金員を多田に支払つた旨主張し、原審第一〇回、当審第五回公判調書中証人横井利枝の各供述部分によれば、同人は右主張に副う具体的な供述をしているが、右供述は、これを信用すべき客観的な裏付けに欠けること、同人が持参して屈けたという金員の目的について、同人は、原審公判廷においては、「何の金だというふうなことはいわれましたか。」との問に対し、「別に、はつきりしておりません。これを現金化して持つていくように、といわれました。」と答えておりながら、当審公判廷においては、「三七年の四月一〇日と暮、三八年の暮の三回持つて行つた金は、利息だとは聞いていませんでしたか。」との問に対し、「返す金だから、受取りを貰つてくるようにと聞いただけです。」と答えているなど、重要な点において供述に変容が認められること、さらには、これに、前記(一)の(2)及び後記(一)の(8)の各返済の主張に対する判断において説示のとおり、それらの主張事実に関する同人の供述に客観的な情況証拠と矛盾する部分があつて措信できないことをも勘案すると、結局標記返済の主張事実についても、これを措信するに由ないものといわざるを得ない。そして、他に標記金員が多田に支払われた事実を窺わしめるに足る証拠は存しない。

(8) 同昭和三八・一二・三〇、現金二五〇、〇〇〇円(右同)

符七三号の前記メモによれば、「三八・一二・三〇本人引出多田君渡、小切手No.四〇二六八、¥二五〇、〇〇〇」と記載されている。しかし、符八七号の一、二の小切手写真によれば、右小切手の裏面には「本人」の裏書があるほか、鉛筆書きで、「一千五〇、〇〇〇、一万円二〇〇、〇〇〇」との記載があり、これに証人渡辺勗に対する原裁判所の尋問調書を併せると、右小切手は、ことさらに紙幣の種類を千円札で五〇枚、一万円札で二〇枚と特定して被告人に支払われたものであることが認められる。してみると、右金員は、主張のように多田に対する返済金として一括使用されたものとするには不自然であるから、むしろ、その他の用途に分割して使用されたものと推認するのが相当である。主張に副う原審第一〇回、当審第五回公判調書中証人横井利枝の各供述部分は、支払つた現金が全部一万円札であつたと供述するなど、右に認定の客観的な情況に齟齬するものであること等に照し、措信することができない。

(二) 前記一の3及び一の4に記載の返済の主張について

(1) 昭和四六・一二・三付上申書の補足表中「借用書借入分五四五万円の内入返済」欄の昭和三七・七・一六、小切手による二七八、〇〇〇円(原審では原判示第二の二の事実についての主張)

福井銀行神明支店における原裁判所の検証調書添付の写真一二、一三、同当座勘定元帳のリコピー(一三)証人渡辺勗に対する原裁判所の尋問調書によると、昭和三七年七月一六日畑中会社より金額二七八、〇〇〇円、支払人株式会社福井銀行神明支店の小切手(番号三九四一六五)が振出され、その小切手は同銀行木田支店において交換取立がなされ、同月一七日同支店における多田正治の匿名山田名義の口座に入金となつていることが認められるから、標記金員が多田に支払われている事実は認められる。しかし、符四一号の入出金振替伝票綴(昭和三七年七月)の昭和三七・七・一六付振替票によれば、借方「管理販売費、交際費」、摘要「立替金返金多田正治」、貸方「三九四一六五福新支」となっており、また符二六号の銀行勘定帳の同日欄には「立替金返済多田正治」と記載されている。そして、従来畑中会社が多田に対し借入金の返済をする場合には、振替伝票や銀行勘定帳に「借入金返済」と記入されているのが普通であるから、右の記載方法は通常の場合と異なつている。さらに符七三号の手帳中七月一六日の日付欄には、「多田君返金¥二七八、〇〇〇会社より内訳中元代負担金及残金利子分¥六九、二三八」等の記載があり、さらに被告人の検察官に対する昭和四〇・二・一八付供述調書十項によれば、被告人は、その記載につき、畑中会社が多田の会社の賃織りをしていたため、多田の取引先である「帝人」、「日窒」への中元代を一部負担してくれと頼まれ、約四万円か五万円を渡した様な記憶があり、それがこの二七八、〇〇〇円の中に含まれていたのだろうと思う旨説明している。これに対し、原審第二四回、当審第一五回公判調書中の証人多田正治の各供述部分によれば、多田は、右金員の趣旨につき、多田の仲介により畑中会社に伊藤忠の賃織りをさせていたが、その際に出たC反(規格はずれの不良品の意)の原糸代(その実質は損害賠償金と認められる。)を畑中に代つて支払つていたので、その立替金の返済を受けたものである旨供述する。しかしながら、そのいずれにもせよ、右各証拠によれば、標記小切手による金員は、所論主張の多田に対する借入金の内入返済の趣旨のもとに支払われたものではなく、別途の立替金返済のために支払われたものと認められる。

(2) 同昭和三七・八・一〇小切手による一七五、〇〇〇円(右同)

福井銀行神明支店における原裁判所の検証調書添付の写真二一、二二、証人渡辺勗に対する原裁判所の尋問調書によれば、昭和三七年八月一〇日、畑中会社により金額一七五、〇〇〇円、支払人を株式会社福井銀行神明支店とする小切手(番号三九四一八八)が振出され、同小切手が右銀行木田支店に呈示されたので、同支店は右神明支店のために立替払をし、同支店にある多田の匿名預金口座に入金したことが認められ、多田もその事実は争わない。しかし、符四二号の入出金振替伝票綴(昭和三七年八月)の昭和三七・八・三一付振替票によれば、借方「管理販売費交際費」、摘要「多田商店、八・一〇」、金額「一七五、〇〇〇」と記載されている。また、符七三号の手帳の中程に鉛筆をもつて三月二九日の日付を書き入れた罫紙の部分には「多田正氏一七五、〇〇〇 御歳暮として仮払」(「として仮払」の部分のみ鉛筆書き、その余はインクによる記載。)との記載がある。これらの証拠に、原審第二四回公判調書中の被告人多田正治、当審第一五回公判調書中の証人多田正治の各供述部分中の、畑中会社が日本窒素株式会社や伊藤忠から賃織りを受註しており、これら会社の関係者に届けた中元品の代金や、右日本窒素の部、課長を温泉へ招待した(昭和三七年二月二二日頃であつたという。)費用を多田において立替払をしていたので、右一七五、〇〇〇円はその立替金の返還を受けたものである旨の供述を併せて考察すると、標記金員は、右交際費の返済であり、所論主張の多田からの借入金に対する内入返済として支払われたものではないことが認められる。

(3) 同昭和三八・七・三〇、現金二〇〇、〇〇〇円(原審よりの主張)

所論は、支払人株式会社福井銀行鯖江支店の小切手(No.一七五〇七)を現金化して支払つたと主張するので調査するに、福井銀行鯖江支店における原裁判所の検証調書添付の写真二〇、二一、証人八田巌に対する原裁判所の尋問調書によれば、昭和三八年七月三一日、畑中会社より金額二〇〇、〇〇〇円、支払人株式会社福井銀行鯖江支店の小切手が振出され、同日右会社に右小切手金が現金で支払われたことが認められる。しかし、符二五号の銀行勘定帳中の昭和三八・七・三一欄、同五三号の入出金振替伝票綴(昭和三八年七月)中の同日付振替票にはいずれも「借入金返済福田耕」と記載されているところ、当審において取調べた被告人の検察官に対する昭和四〇・二・二一付供述調書によれば、被告人は、右金員につき、実際は何か被告人個人の用に使い実質返済には当てなかつたものだろうと思う、この金は多田君への返済に廻した憶えはありませんと供述している。そして、記録によれば、右供述は、被告人が後記のとおり二度目に逮捕された際の勾留中になされたものであることが明らかであり、したがつて、本件公訴にかかる事実に対する弁解の態度を固めた後になされたものと推認されるから、その不利益供述は措信するに足るものというべきである。そうだとすると、標記金員を多田に支払つた事実はなかつたものといわねばならない。

(4) 同昭和三九・四・三、約束手形による八八二、〇〇〇円(当審における新主張)

符一二三号の約束手形、当審証人多田正治に対する尋問調書によれば、畑中会社が、昭和三八年一二月一八日に、金額八八二、〇〇〇円、支払期日昭和三九・四・三、受取人多田正治なる約束手形を振出し、右手形は多田が取立委任をなし、支払期日において鯖江信用金庫から領収していることが認められ、また、符二九号の銀行勘定帳によれば、右支払期日に、福井銀行鯖江支店を支払人とする金額八八二、〇〇〇円(番号五〇八二)の小切手により右手形金が支払われたことが認められる。したがって、多田が右手形金を受領したことは明らかであり、多田もその事実は争わない。しかし、符五八号の入出金振替伝票綴(昭和三八年一二月)中の昭和三八・一二・一八付振替票には、六九万円TD型須賀式撚糸機二台、一九二、〇〇〇円、ベークボビン一二〇〇ヶ代金支払のために多田正治を受取人として振出された手形である旨が記載されており、また、符二三号支払手形帳一四頁の一二月一八日欄には「撚糸機二台金八八二、〇〇〇」と記載されている。ところで、当審証人多田正治に対する尋問調書(昭和四六年一二月六日尋問)によれば、多田は、右金員受領の趣旨について、多田方にあつた織機を「豊産業株式会社」(証人畑中寿展の当審公判廷における供述によると、畑中寿展は被告人の養子であるところ、「豊産業」に同人の実父坪田豊吉らが経営すべく設立を予定した株式会社であるという。)で使うというので売渡した記憶があり、主張にかかる手形は、その代金に当るのかも判らない旨供述した。そして、昭和四七年三月二三日の当審第一五回公判調書中証人多田正治の供述部分によれば、その趣旨について、符五八号の前記伝票における代金額等の記載に照し、その機械やベーク・ボビンは新品であつたものと思われるから、前回「豊産業」へ売渡した機械の代金であるかのように証言したのは誤りで(ただし、別途に「豊産業」へ古い撚糸機や糸巻などを売渡した事実があつたことは問違いない。)、それは当時多田の名義で畑中会社へ機械を買つてやり、その代金として畑中会社から手形を受取り、買入先へは多田の方から代金を支払つたと思う旨供述するに至つた。そこで、検察官が右供述に基づき捜査したところ、新たに次の事実が判明した。すなわち、証人松村正一の当審公判廷における供述、当審において取調べた捜査事項照会書に対する回答書(昭和四七・六・五付伊藤忠商事株式会社福井支店発)、捜査事項照会書(昭和四七・五・一八付伊藤忠商事株式会社福井支店宛)によれば、検察事務官松村正一が金沢市所在の須賀機械株式会社において調査したところ、昭和三七年に多田の方から須賀機械株式会社に対しTD型撚糸機二台、ベーク・ボビン一二〇〇個等を註文した旨の記載がある註文書、及び多田の幹旋により、伊藤忠福井支店が仲買いをし、納入場所を畑中繊維工業株式会社と取り決めて売買契約を締結した旨の記載がある契約書が発見されたことが認められ、また、右売買代金は多田正織布株式会社から伊藤忠福井支店へ、同会社から須賀機械株式会社へと順次支払われたものであることが認められる。そうすると、当審第一五回公判廷における多田の右供述は、これらの新たに発見された証拠により裏付けられたことになり、措信するに充分である。そこで、以上の事実を綜合すると、標記手形は、右機械等の売買代金支払のために提出し、決済されたものであり、所論主張の多田に対する借入金の内入返済の趣旨によるものではないものと認められる。右認定に反する当審第五、七回公判調書中証人谷川勇、同第五回公判調書中証人横井利枝の各供述部分は、右の客観的な証拠に照して措信できず、当審において取調べた閉鎖登記簿謄本一通、鯖江農業協同組合代理人大橋茹作成の昭和三七年(ケ)第三九号不動産競売事件(福井地裁武生支部)の計算書写、福井鉄道株式会社の証明書一通も右認定を左右するに足るものではない。

(5) 同昭和三九・五・三〇、約束手形による二三三、九四三円(右同)

所論は、畑中会社が昭和三九年三月二六日に、支払期日昭和三九・五・三〇、受取人多田正治なる標記金額の約束手形を振出し、その支払期日に支払人株式会社福井銀行鯖江支店の同金額の小切手(No.〇〇〇〇一)で右手形を決済したと主張するので調査するに、符一〇九号の約束手形によれば多田が右支払期日に右手形金の支払を受けている事実は認められる。しかし、符二〇号の昭和三九年度受取手形支払手形綴(多田正商店)中の受取手形の項三月二八日欄には「賃織不足糸畑中渡二三三九四三」と記載されており、他方、符六一号の入出振替伝票綴(昭和三九年三月)の三月二六日付振替票には、金額「八二八八七」その摘要「加工品返品分#九一一一」、金額「九一八四九」その摘要「#九一二欠反処理分二〇疋分」、金額「四〇四五一」その摘要「#一一二〇ローン欠反分」、金額「一八七五六」その摘要「木管弊社売却済のもの」とあり、さらに金額合計「二三三九四三」摘要「多田商店、No.二八九四、キ日五・三〇」と記載されており、また符六三号の入出金振替伝票綴(昭和三九年五月)の五月三〇日付振替票には摘要「手形落し多田正治」、貸方「鯖江支」と記載されている。これらの証拠に、当審証人多田正治に対する尋問調書を併せると、標記手形は、多田が畑中会社に賃織りをさせるため提出した糸の不足分の賠償金等支払のめに振出されたものと認められ、所論主張の多田に対する借入金の内入返済の趣旨によるものとは認められない。

(6) 同昭和三九・七・一五、現金五〇〇、〇〇〇円(原審よりの主張)

所論は、支払人株式会社福井銀行鯖江支店、畑中会社振出の標記金額の小切手(No.一七九六)を現金化して返済した旨主張するので調査するに、福井銀行鯖江支店における原裁判所の検証調書添付の写真一七、一八、証人八田巌に対する原裁判所の尋問調書によれば、右小切手の裏面には「畑中繊維工業株式会社」なる裏書と「横井」の印影が認められ、かつ表面には「三九・七・一五出納済」という右支店の押印があるので、同日標記金員が畑中会社の事務員横井によつて受領されたことは認められる。ところで、多田は、右金員につき、原審第二四回公判廷においては、支払いを受けたことはない旨供述しており、また、当審証人多田正治に対する尋問調書等によれば、当審においては、ただ被告人の息子(前記畑中寿展の意)が五〇〇、〇〇〇円を現金で多田方へ持つて来たような記憶があるが、それは、「豊産業」の機械代金であつたが、あるいは「豊産業」を建設するにつき大工か何かを世話したことがあり、そのために持つて来たように記憶している旨供述しているに過ぎず、もとよりこれをもつて右返済の主張を裏付けるに足るものとなすことはできない。他方、符六五号の入出金振替伝票綴(昭和三九年七月)中の七月一五日付振替票によれば、借方「短期借入金」、摘要「現金引出し」と記載され、さらに摘要欄に鉛筆書きにて「借入金返済福田耕」と記載され、貸方「一七九六、福鯖支」、金額「五〇〇、〇〇〇」と記載されている。そして、右福田耕とは、畑中会社の取締役、会長等に就任し、同会社に対し融資したことのある者(福田耕の検察官に対する供述調書等により明らかである。)を表わしているものと推認されるから、右の伝票における記載は、多田に返済したとする被告人の主張と背馳している。そこで、これらの証拠に照せば、標記金員が多田に交付されたこと、仮りに交付されたものとしても、それが、所論主張の多田に対する借入金の内入返済の趣旨のもとに交付されたものであることについては、いずれもこれを窺わしめるに足る客観的な証拠はないといわざるを得ない。所論に副う当審第五、七回公判調書中証人谷川勇の供述部分、同第五回公判調書中証人横井利枝の供述部分は、客観的な裏付に乏しく、措信できない。

(7) 同昭和三九・一二・三〇、約束手形による五〇〇、〇〇〇円(当審における新主張)

(8) 同昭和四〇・一・一二、 約束手形による五〇〇、〇〇〇円(右同)

(9) 同昭和四〇・一・三〇、 約束手形による五〇〇、〇〇〇円(右同)

所論は、(7)については、支払期日昭和三九・一二・三〇(符一二四号)、(8)については、支払期日昭和四〇・一・一二(符一二五号)、(9)については、支払期日昭和四〇・一・三〇(符一二六号)の各畑中会社振出の約束手形により返済した旨主張するところ、これらの約束手形と、符二〇号昭和三九年度受取手形支払手形綴(多田正商店)中の一〇月一三日欄における(7)(8)の手形に関する各「ユタカ産業分、畑中渡、割引依頼受、五〇〇〇〇〇」との記載、同一〇月二四日欄における(9)の手形に関する「畑中渡、ユタカ産業預り手形、五〇〇〇〇〇」(なお、同日欄に他の金額四五〇、〇〇〇円の手形につき同様の記載がある。)との記載を併せると、多田が右らの手形を受取つたことが認められ、当審証人多田正治に対する尋問調書によれば、これらが期日に決済されたことが認められる。ところで、右尋問調書によれば、多田は、これらの手形は、他の金額四五〇、〇〇〇円の約束手形と共に割引依頼を受けたものであり、多田と被告人あるいは畑中会社との貸借には関係がない旨供述し、当審第一五回公判調書中証人多田正治の供述部分によれば、これら合計四通の手形を受取つた理由は、被告人の養子寿展が友人と共同で大野町(福井県大野市の意)に工場を建設する件につき、多田が相談を受け、知合いの大工を紹介して請負わせるなどの面倒をみたが、その際右寿展が友人より集めた金員が三〇〇万円ほどあつたところ、畑中会社の資金が不足したため、これへ流用してしまつたというので、そのことを被告人に話したところ、金は一二月半頃にできるが、それまでは被告人の手形で取つてほしいとの依頼があつたので、受取つた手形である旨供述している。そこで、符二三号支払手形帳(畑中会社)をみるに、その二五丁の一〇月一二日欄に(7)の手形につき摘要「借入金返済(三〇〇万借入の分大の関係)計一五〇万」、(8)の手形につき摘要「借入金返済(〃計二〇〇万)」、同月二三日欄に(9)の手形摘要「借入金返済(三〇〇万借入の分大の関係計二五〇万)」、前記金額四五〇、〇〇〇円の手形につき摘要「借入金返済(〃計二九五万)」との記載があり、右多田の供述と符合している。これに、当審において取調べた鈴木隆市の司法警察員に対する供述調書によつて認められるところの、福井銀行鯖江支店に昭和三九年八月一八日畑中寿展名義により金三八〇万円で普通預金口座が設けられ(ただし、送金は宮本浩名義によるものであつた。)、目的は工場建設資金ということであつたところ、同年八月二四日その内三〇〇万円を畑中会社へ貸付けることとして同会社の定期預金へ入金され、これが同銀行と畑中会社との当座貸越契約のための担保とされた事実、さらに、当審において取調べた宮本浩及び畑中寿展の検察官に対する各供述調書を併せて考察すると、標記三通の手形を含めた右合計四通の手形は、畑中会社が右借受分三〇〇万円を返済するために、多田に割引を依頼し、あるいは期日に支払う約束のもとにこれを預入れたものと認められる。なお、符二三号中二四丁の記載によれば、昭和三九年九月二八日宮前機械へ代払のために金額五〇万円の約束手形が振出されているが、その摘要欄には「(三〇〇万借入の分(大の関係))」と記載されており、同二五丁の記載によれば、同年一〇月三日借入金返済のため金額五〇万円の約束手形が振出されているが、その摘要欄には「(宮前渡)(三〇〇万借入の分大の関係)」との記載があり、したがって、これらの合計金額一〇〇万円の約束手形も前記借入金三〇〇万円に対する返済を目的とし、「豊産業」の機械購入代金を代払いするために振出されたものと認められ、右認定とよく符合している。したがって、標記各金員も所論主張の多田に対する借入金の内入返済の趣旨のもとに支払われたものとは認められない。

以上証拠に基づき、被告人主張にかかる返済の事実の存否を考察した結果は、そのことごとくについて、多田が所論主張の金員等を受領した事実が認められないか、あるいは受領の事実はあつたとしても、それは所論主張の多田からの借入金に対する内入返済の趣旨によるものではないことが証明されたものといわねばならず、その他全証拠によつても、主張のごとき返済のあつた事実を窺い得ないものである。

2  多田による利息金収得の主張について

所論は、多田が伊藤忠側から交付された約束手形を操作して被告人へ供与する段階において、自ら利息金を取得している事実があるから、これが被告人主張の借受金であることの証左である旨主張し、弁護人大橋茹提出の昭和四六・一二・一六付追加上申書において、控訴趣意書中の右利息金に関する主張を敷衍したものと解せられる。ところで、ここにわざわざ前置きをするまでもないことではあるが、本件において公訴が提起され、ひいては原判決が認定した事実は、原判示各現金ないし小切手を原判示各時点において収受した行為であり、それらを収賄にあたると認定したものであることは明らかであるから、右現金や小切手を受領する縁由とされた前記一の2ないし4に記載の各約束手形による貸借関係は自ら別個の問題に属し、その観点からすれば、右貸借関係において多田がどのような利得をしようとも、それがただちに本件賄賂自体から利息金を収得することにはなり得ない問題であって、これについては多言を要しない。したがつて、所論は、多田が伊藤忠側から受取つた約束手形を換金して手中に納めておりながら、これをそのまま被告人に供与せず、他方では、なおも手形割引による貸付を行ない、その段階において実質的に利息金を収得していると主張するものと解せられるので、考えるに、なるほど、関係証拠によれば、前記一の2ないし4に記載の各約束手形に関し、多田は、畑中会社に対し割引をなした割引料と、さらに右約束手形を銀行において割引を受けた割引料との間の差額に相当する金員を利得しているものと窺われる(ただし、前記一の2に記載の約束手形三通を割引した時点で、多田がすでにこれに見合うだけの金員を伊藤忠側から受領していたかどうかは、原判示第二の一の収受の事実の存否に関連するところ、被告人は右収受の事実を争つており、所論もそれを前提としているので、この点はしばらく別個の問題とせねばならない。)。ところで、多田が利得したという右割引料の差額は、所論の主張自体よりするも、金四三、三六八円に過ぎない。したがって、仮りに右差額金収得の事実があつたとしても、それは総額一二〇〇万円にも上る約束手形金に比すれば極めて僅少なものといわねばならない。また、証拠によれば、後記のとおり、本件において問題となつている手形による貸借以外にも、これらと相前後して本件とは関係のない多田と畑中会社間の貸借関係が存続していたものであること、その貸借については、多田の方で当然利息を取得していたものであること、ひいては、多田が畑中会社ないし被告人に対し経済的に優位な立場にあつたものであること等の情況が認められるのであるから、多田において右差額金を取得したものとしても、それは右の本件とは関係のない貸借におけると同様の取扱をなしたに過ぎないものと認められ、ことさらに伊藤忠側より入手した金員から利得をなさんとする意思に出でたものとは推量されない。したがつて、いずれにしても、多田が右のような利得をした事実をもつて、所論主張のごとき借受金であることの徴憑としての利息と評価するを得ないし、ましてや授受にかかる原判示現金ないし小切手の賄賂性までも否定し去るほどの事由となるものとは解せられない。

3  返済に関する主張自体について

さらに、返済の事実について被告人の主張自体をみても、その回数、数額、ことにそれがどの借受金に摘要される返済であるか等について、その主張に原審、当審を通じ著るしい変更があることはこれまでの記述により明らかであるが、その他にも、被告人は、原審第二回公判廷において、本件公訴事実第二の事実中の二(原判第二の二)に相当する金額を借り受けた事実すらもない旨陳述している(被告人の昭和四〇・五・一二付上申書)。のみならず、前記1の(二)の(1)における主張については、仮りに変更後の主張どおりとすれば、借受ける前に返済をしたとの事実を主張することとなるし、また、借り継ぎをした際多田に差入れたと主張する借用証の金額に関する主張等にも論理的な矛盾が見受けられる。もつとも、本件事案においては、関係証拠も多数存在するために、被告人あるいは弁護人において早期にその全貌を把握することが困難であつたことは所論のとおりであるとしても、なお、右の主張自体にみられる変更、矛盾は、被告人の弁解の信用性を考慮するうえで不利益な要素であるというに妨げがない。

なお、右原判示第二の二の事実に対する被告人の弁解の変遷に関連して付言するに、後記六の4の(一)、(二)、(四)に記載のとおり、原判示第二の三、四の事実における原判示各小切手の受領による入金に関しては、畑中会社の会計帳簿類に記載があるところ、原判示第二の二のそれに関しては、右会社の会計帳簿類に全く記載がない。そうしてみると、被告人は、当初右会計帳簿類における記載の有無にことさらに符節を合わせた弁解をなそうとしたものではないかとの疑いを免れないものであつて、この点もまた被告人の弁解にとり不利益な情況として看過し得ないものである。

4  本件逮捕の前後における被告人の動静

記録を調査するに、ことに被告人に対する各逮捕状ないし勾留状、被告人の検察官に対する昭和四〇・二・一八付供述調書、検察事務官坪川庄蔵作成の昭和四〇・二・一付捜索差押調書等によれば、被告人は、本件事犯の被疑事実により昭和三九年一二月一日に逮捕され、一旦釈放された後昭和四〇年二月一日に再び逮捕されて引続き勾留されたものであるが、その二度目の逮捕に至る以前に、武生市所在の林病院に入院中、病室へ関係帳簿類等を持込み、前記符七三号の手帳に、多田に返金をなしたという記載を新たに書き加えたことなどの事跡が認められる。したがって、たとえ右行為が所論のごとく弁護人の指示に基づき、捜査官の取調に応ずる準備をしたものであったとしても、前説示のごとく返済の事実についての主張のことごとくを排斥すべきものであることに照せば、それは、やはり被告人の弁解の真否を判断するうえに不利益な情況というべきである。そして、また、本件事案に対する捜査が開始されたことを知つた直後の被告人の動静、ことに原審第六回公判調書中証人前田蒼平の供述部分によつて認められるところの堤政恭弁護士宅における被告人の言動等も、被告人の弁解の趣旨と馳背するものであり、その真実性を疑わしめるものというべきである。

5  結論

以上に認定したところに基づいて考察するに、多田から受領した原判示各小切手につき、いずれも更に同額の金員を借り継いだものであり、したがつて賄賂ではないとする被告人の弁解は、そのことごとくが虚偽であると断ぜざるを得ず、かようにして、被告人の弁解の根幹が潰え去つた以上、もはやこの点からしても被告人の供述に信を措くことは困難であるといわねばならない。

四  多田の供述の信用性

そこで、多田の供述の信用性について検討を加えるのであるが、それは同時に被告人の供述ことにその弁解の成否と密接な関係にあることは多言を要しないところである。すなわち、被告人の弁解が証拠により認め得ないものであること前記のとおりであるところ、これに比し、多田の供述は、関係帳簿類等の証拠物やその他の証拠によつて認められる客観的な諸情況とも概ね符合しており、明らかに不合理なかどは認められない。そして、その供述自体をみても、捜査段階、原審及び当審における審理を通じて、その供述はほぼ一貫しており、大筋において齟齬するところは認められないし、ことに、その当審における供述は、同人に対する原判決が確定した後であるのに、依然として変らない。それのみか、前記三の1の(二)の(4)において述べたごとく、当審における多田の新たな供述に基づき捜査をした結果、その供述を裏付ける新たな証拠が発見されたことにも窺われるように、ことさらに被告人を罪に陥れようとするような態度もみられない。もつとも、本件事案においては、その特殊性に鑑み、被告人畑中に対する犯罪の成否が、多田の刑事責任に重大なる影響を及ぼすものであつたことを看取するに難しくないから、多田の供述の信用性を吟味するにあたり、この点に対する深甚の配慮を要するものであることは、所論のとおりであり、当裁判所も自らを戒めねばならないところである。にもかかわらず、以上考察したところによれば、多田の供述は、その大筋においてこれを措信するに充分なものということができる。ところで、所論は、多田の供述どおりとすれば、多田が伊藤忠側から贈賄分として受領した約束手形を受入れ、ないしは割引により金員を入手した日と、原判決認定の供与の日との間に一ヶ月ないし三ヶ月の遅れが認められ、この事実は、多田自身の、被告人が早く賄賂金を貰つてくれと要求していたとの供述と全く背馳するものである旨を強調し、これを原判示小切手の収受が借り継ぎになつたものとする所論の主張に利益に援用するので、ここでこの点につき検討を加えることとする。ところで、(イ)昭和三六・一一・三〇伊藤忠福井支店振出(以下(ホ)まで全部同じ。)の金額一三二万円、同一六八万円の各約束手形合計二通(支払期日はいずれも昭和三六・一二・三〇)を、多田が、右振出日に受入れたうえ割引を受け二、九七七、五〇〇円を入手したこと、(ロ)昭和三七・一・二五振出の金額二〇〇万円の約束手形一通(支払期日昭和三七・四・二六)を、多田が、昭和三七年二月一日に受入れたうえ割引を受け一、九八五、〇〇〇円を入手したこと、(ハ)昭和三七・一・二五振出の金額三〇〇万円の約束手形一通(支払期日昭和三七・四・二五)を、多田が、昭和三七年一月二六日に受入れたうえ割引を受け二、九三二、五〇〇円を入手したこと、(ニ)昭和三七・三・一七振出の金額二〇〇万円の約束手形一通(支払期日昭和三七・六・三〇)を、多田が、昭和三七年三月二二日に受入れたうえ割引を受け一、九一〇、〇〇〇円を入手したこと、(ホ)昭和三七年六・九振出の金額二〇〇万円の約束手形一通(支払期日昭和三七・八・一三)を、多田が、昭和三七年六月一一日に受入れたうえ割引を受けたことは、滝波甚一の司法警察員に対する昭和四〇・一・八付供述調書、司法警察員小林正勝作成の昭和三九・一〇・二三付、同年・一二・二三付各捜査報告書、司法警察員番匠要作外一名作成の昭和四〇・一・三付捜査報告書その他被告人に対する関係で取調べた関係証拠により認められる。そうすると、前記三の2において述べた理由により、原判示第二の一の収受の事実に関する右(イ)の事実はしばらく措くとしても、なるほど、多田が伊藤忠側から受領した手形の割引を受けて金員を入手した時と、原判示第二の二ないし四の各供与の時との間には、所論主張のごとき期間があるから、多田は、その間右金員を自己の手中に保留していたことになる。しかしながら、本件においては、右の事実があるからといつて、あながち多田の供述の信用性に根底から影響を及ぼすほどの理由になるものとは解せられない。すなわち、前記昭和四四・四・一付上申書第一表の一における弁護人の主張自体からみても、多田は、畑中会社に対し、原判示四回に亘る贈収賄の事実を認定された期間内に、前記一の2ないし4に記載した各約束手形による貸借とは別個に、これらと相前後して、三回に亘り合計六、三一五、一五八円の貸付けをなしていることになる(右事実は、関係証拠物等により認められる。)。そうすると、多田は、これら全体の貸借関係において、畑中会社ひいては被告人に対し債権者としての地位にあり、経済上優位な立場にあつたものであることが認められる。しかも、同人は、自己において割引をした畑中会社振出の手形を、更に金融機関等において割引を受ければ、自己も裏書人としての責任を負わなければならない立場にあつたものであることも看取できる。そうだとすると、これらの情況からすれば、多田が伊藤忠側からの金員を受領していながら、いわば右のように優位な地位にあつたことに乗じて、相当期間これを手許に保留し、他方被告人としてはこれを甘受せねばならなかったものとしても、その理由を見出し得ない訳ではない。なお、付言すれば、多田は、罪跡を残さないように金員を操作した旨供述していながら、原判示第二の一の事実においては現金により、その余の事実においては大部分を小切手により供与したというものであり、その方針において一貫性を欠いてはいるが、これにつき、当審証人多田正治に対する尋問調書によれば、多田は、伊藤忠側から受取つた各手形のうち最初の前記(イ)の手形のみは、その余の手形に比し、支払期日までの期間が短かかつたためである旨供述しているが、その弁明も(手形の期間に多田の供述するような差異のあつたことは、前記のとおりである。)、右の情況と併せて考察すれば、これを首肯し得ないものではない。

五、名和、古林、前中の供述の信用性

標記三名の供述は、事実関係に関する限り、結局大筋において相互に矛盾するところはなく、他の証拠によつて認められる客観的な情況や、多田の供述とも符合しているものであり、これらを措信するに充分である。

六、原判示受託収賄の事実認定について

以上に考察したところによれば、多田の供述は、大筋においてこれに措信することができるのであるから、その他の関係証拠と相俟つて、原判示事実は、そのことごとくを認定し得るものであるが、なお、当裁判所の認定したところを、主として争点につき以下に摘記する。(なお、被告人の職務に関する事実関係については、後記控訴趣意第二点に対する判断の項においても触れることとする。)

1  請託を受けた事実と賄賂の約束

原審第一九回公判調書中被告人の供述部分、被告人の検察官に対する昭和四〇・一・一三付供述調書に、原判決挙示にかかる原審相被告人らの各供述証拠、ことに原審第二一回公判調書中被告人多田正治の供述部分を併せれば、多田は、昭和三六年五月頃、鯖江市庁舎建設特別委員会の委員長である被告人から、市庁舎建設の話を聞いたので、その後伊藤忠福井支店においてその話をしたところ、名和、古林から同支店として右市庁舎の建設を積極的に請負いたいという希望があつたこと、そこで、多田としては、被告人が業者の指名をするについてある程度は力があると考えていたので、伊藤忠の希望を被告人に伝えたところ、結局被告人が極力骨を折つてみると答え、入札願とか建設経歴書のようなものを出しておくようにと言葉を添えたので、被告人の意向を伊藤忠に取次いだこと、さらに昭和三六年の八月か九月頃、伊藤忠側から、競争入札業者に指名されるよう被告人に頼んで貰いたいという依頼を受け、その頃古林から市庁舎の建設を請負うことができるようになつたら謝礼を出すという話があつたこと、それで、その謝礼の件を被告人に伝えたら、被告人の方からも、入札がうまくいつたら謝礼ぐらい貰えるんだろう、というような話もあつたこと、昭和三六年九月末頃、被告人から、伊藤忠が競争入札の指名業者に入るだろうという話を、一般に公開される以前に聞いたので、これに併せて他の指名業者名を古林に話したこと、昭和三六年一〇月初め頃、被告人から、建設費の予算額を二億二〇〇〇万円位と聞いたので、これをも伊藤忠側に伝えたが、その後に、被告人から、謝礼は二、〇〇〇万円や三、〇〇〇万円貰えるじやないかという話があり、これに対し多田は、せいぜい一、〇〇〇万円は貰えるだろうというように答えるとともに、古林には一、五〇〇万円くらい出して貰いたいと頼んだこと、さらに昭和三六年一〇月伊藤忠福井支店が工事を請負つた後に、被告人から多田に対し謝礼を早く出して貰うように要求があつたこと、かくして、原判示罪となるべき事実中第一の冒頭記載のとおり、謝礼額は一、二〇〇万円とすることに決定し、右謝礼が原判示趣旨のもとに供与される旨多田から被告人に伝えられたこと、これに対し、被告人は、謝礼はなるべく現金で貰つてほしいと答えていたこと、以上の事実が認められる。したがって、右の情況に徴すると、原判示請託とこれに対する受託がなされた事実、賄賂授受の約束が取り結ばれた事実を認定するに充分である。

2  賄賂性の確認

(一) 多田の介入による事案の特異性について

本件事案における多田の地位、役割をみるに、贈賄者とされる伊藤忠側と、収賄者とされる被告人との間にあつて、直接にはほとんど交渉のなかつた両者を連絡する重要な役割を果しているものであり、これが本件事案の一特性であることは、所論のとおりである。そして、同人が伊藤忠側から受入れた各約束手形の割引を受け、金員の形式、出所、取次ぎの時期等において、ことさらに複雑な操作を経たうえ、これを被告人に伝達している事実についても、検察官の冒頭陳述書に添付の図表のとおりであり、右事実は、押収にかかる帳簿類等の証拠物や関係各捜査報告書、供述調書により明らかである。ところで、伊藤忠側と被告人との間に、多田を介しての間接的なものであるにもせよ、請託ないし賄賂の約束について、順次意思連絡のあつた事実が確認されるものであることは前認定のとおりであるが、さらに、関係証拠ことに原審第二一回公判調書中被告人多田正治の供述部分によれば、何時、どのような方法で、伊藤忠側からの出金を被告人に取次ぐかについては、伊藤忠側の当事者から、ある程度多田の裁量に委ねられていたことが窺われるし、また原判示受供与に際しては、その都度、多田から被告人に対し、例の謝礼であるとの趣旨が明示されていたというのであるから、これらの事実に照せば、右のごとく多田により形式的な変容を加えられた事実があるからといつて、流動した金員の実質的な趣旨までも失なわれ、賄賂性を失なうに至るものと解すべきではない。なお、前記四において記述したとおり、多田が伊藤忠側から受入れた金員を相当期間その手中に留保していた事実は認められるが、これとても、そこで認定した情況をみれば、ことさらに金員の性質を変容させる目的によりなされたものではなく、賄賂であることの罪跡を残さないための操作を行つた段階において、むしろ前述の理由により生じた結果とも考えられるから、右の事実があつても、右賄賂性に影響を及ぼすものとは考えられない。また、伊藤忠側の名和、古林、前中等の供述によれば、多田は、問題の金員を被告人のみではなく、その他の市関係者らにも供与する旨を約していたというのであるから、そうだとすると、その点においては、右名和らに一部錯誤があつたものと考えられる。しかし、これも、詮ずるところ、被告人にいかほどを供与すべきであつたかという数額の問題に止まるものというべきであるから、原判示現金及び小切手が全体として賄賂性を帯びることには変りはない。

(二) 対価関係

まず、被告人が伊藤忠側に与えた利益についてみると、関係証拠ことに原審第三回公判調書中証人福島文右ヱ門の供述部分によれば、被告人は、鯖江市長であつた福島文右ヱ門に対し、伊藤忠を競争入札の指名業者に加えるよう相当執拗に依頼したこと、ところが、伊藤忠はもともと商事会社であつて、当時建設部門における実績も少なかつたため、同市長の指名業者に関する腹案には含まれておらず、したがつて当初は拒否されたものの、繰返し依頼した結果、同市長をして不本意ながら伊藤忠を指名業者に加えしめることに成功したものであることが認められる。これに反する被告人の供述は信用できない。そして、この他には、前記のとおり市の建設予定額を知らせたことがあるくらいのもので、格段外見に表われるような便益を与えたような事実は証拠上窺い難い。しかしながら、仮りにそれだけであつたとしても、本件においては、右被告人の行為は、伊藤忠側から一、二〇〇万円の賄賂を引出す経由となり得たものと認められる(なお、伊藤忠側に前記の錯誤があつたものとすれば、なおさらのことである。)。すなわち、原判決挙示の名和、古林の各供述証拠によれば、名和、古林は本件当時、建設部門を開設して間がない伊藤忠福井支店の担当者として、同部門の拡張を意図していたものであるが、同会社は、商事会社としては勿論大手会社であるけれども、建設業界においては未だに見るべき実績もなかつたため、従来大手の建設業者のみが指名されるのが慣行となつていた本件市庁舎のごとき公共建設物の工事の競争入札においては、通常ならば指名業者に参加できるような地位にはなかつたこと、したがつて、同会社が本件競争入札指名業者に加えられたこと自体極めて異例な事態であつたこと、そして、伊藤忠の意図からすれば、本件工事の落札、請負により利益を挙げることもさることながら(現に、請負契約締結に至るまでには、伊藤忠側において、被告人ら関係者に提供すべき賄賂金の額をも勘案して、工事を請負つた場合の損益につき充分な検討を遂げている。)、その請負のみに関する限り、通常ならばあまり採算上有利な工事ではなくとも、むしろこれを布石として建設業界における信用を培い、将来への発展の足がかりとすることに重大な意義を認めていたこと、さればこそ、入札業者に指名されてより後は、被告人の助力を得ずとも、他の入札業者らと談合を遂げるなどしたすえ、多少の採算上の不利益を忍んででも、結局請負契約を締結するに至つたものであること、以上の諸事実が認められる。したがつて、これらの情況からすれば、対価関係の存在を認めるに妨げがないものということができる。所論は、被告人が、伊藤忠側に対しむしろ不利益な行動までも敢えてしている旨指摘するが、被告人の置かれていた地位、立場等に鑑みれば、外観上かかる行動に出たとしても、いささかも異とするに足りない。なお、以上に認定したところによれば、被告人の右便益供与の行為がその職務に由来する行為に関するものであり、所論のように個人的な斡旋に止まるものでないことも明らかであるといわねばならない。

以上検討したところにより、原判示収受にかかる現金ないし小切手の賄賂性を確認するに充分である。

3  犯意について

被告人が、原判示現金ないし小切手の収受にあたり、いずれも賄賂の趣旨を認識していたものであることは、以上に考察したところからすでに明らかであるが、なお、付言すれば、弁護人ら連名提出の昭和四四・四・一付上申書添付第一表の1をみるだけでも、多田と畑中会社間の貸借関係の総額は、本件において問題とされている贈収賄の期間内におけるそれが、その前後の期間に比し著るしく多額となつている(この事実は関係証拠物等により認められる。)。したがつて、この事実からしても、被告人に犯意のあつたことが推認されるものというべきである。

4  原判示四回に亘る収受の事実についての認定

まず、原判示四回に亘る収受の事実について、これを全般的に考察してみると、原判示第二の一の事実より以前の多田と畑中会社ないし被告人個人間の貸借関係については、すべて弁済すみであることは、当事者間に争いがなく(証拠上も認め得る。)、さらに前記昭和四四・四・一付上申書添付第一表の1における主張自体や、関係帳簿等の証拠を調査すると、本件贈収賄の期間内に入つてより以降も、前記一の2ないし4に記載の各約束手形以外の各貸借関係についてはいずれも順次その債務に対する弁済がなされている事実が認められる。そこで、これらの事実を基礎にして、以下叙述の便宜に従い、順次検討を加える。

(一) 原判示第二の三の収受の事実について

原判示小切手二通を受領した事実は被告人もこれを認めているところ(なお、押収にかかる帳簿類等の関係証拠によれば、原判示収受の縁由とされた前記一(控訴趣意の要旨ないし争点――以下同じ)の3に記載の約束手形三通の割引による入金は畑中会社の会計帳簿に明らかにされており、また原判示小切手二通の収受による入金については、同会社の帳簿上、原判示金額二、五〇〇、〇〇〇円の小切手につき福田耕からの借入、原判示金額二五一、五三五円の小切手につき被告人の短期借入金として処理されている。)、これに対する返済の事実ひいてこれが借り継ぎによる借受金となつたとの主張を認め得ないものであることは、これまでに検討を加えたところにより明らかであるから(なお、差入れたと主張する借用証も発見されない。)、多田の供述等関係証拠によれば、これを賄賂と断ずるよりほかはない。なお、谷川勇の検察官に対する昭和四〇・一・二八付供述調書によれば、同人が昭和三七年八月三一日畑中会社の帳簿を調査したところ、福井銀行神明支店の会社口座に、会社帳簿に記帳されたものより二、七五一、五三五円の余剰のあることが判明したので、福田耕からの短期借入金なる伝票を起票して帳尻を合わせたというものであつて、この情況も右認定を裏付けている。

(二) 同第二の四の収受の事実について

原判示小切手一通のみについては、被告人もその受領の事実を認めている(なお、前項と同様原判示収受の縁由とされた前記一の4に記載の約束手形三通の割引による入金は畑中会社の会計帳簿に明らかにされており、また原判示小切手の収受による入金については、同会社の帳簿上、福田耕からの短期借入金として処理されている)。ところで、被告人が受領の事実を全く否認する原判示現金四八、四六五円については、多田はこれを供与した旨供述しているところ、滝波甚一の司法警察員に対する昭和四〇・一・一四付供述調書によれば、多田が、昭和三七年一一月九日(すなわち、原判示供与の日)、福井銀行木田支店にある多田の匿名山田正男名義の普通預金口座から金額二、七〇〇、〇〇〇円の銀行小切手と現金四八、四六五円を引出している事実が認められ、これらの客観的な情況は多田の右供述を裏付けている。したがつて、被告人が原判示現金を受領した事実を認めることができる。そうだとすると、前項と同様の理由により、被告人が原判示小切手及び現金を賄賂として収受した事実を認めるに充分である。

(三) 同第二の一の収受の事実について

多田正治の検察官に対する昭和四〇・二・一一付供述調書によると、多田は、原判示現金を供与した旨供述し、現金交付の際の情況として極めて具体的な事実を述べており、その内容は通常現実に体験した者でなければ供述し得ない事柄にまで及んでいる。他方、原審第二二回公判調書中証人川崎三郎の供述部分によつてその供述の任意性を認めるに足る被告人の司法警察員に対する昭和三九・一二・二四付供述調書によれば、被告人は、昭和三六年か三七年頃、多田の事務所か自宅で、同人から二〇〇万円か三〇〇万円前後の端数のある現金を受取つた憶えがある旨供述している。所論は、原判示現金の出所が不明であると主張し、多田が前記四の(イ)に記載のとおり入手した金員を北陸銀行木田支店において自己の匿名定期預金とした事実を指摘するが(その事実は、関係証拠により所論のとおり認められる。)、多田正治の検察官に対する昭和四〇・三・三付供述調書によれば、同人は右現金の出所を具体的に供述しているところ、松村貢、谷岡万治、山本登(二通)、岩本登志雄の司法警察員に対する各供述調書によれば、その頃多田が右の者らから合計一八一万円の金員を受取つていることが明らかにされているから、これらの金員も多田の所謂裏金とされたことが窺われ、この情況は多田の右供述を裏付けている。そして、証拠によつて認められる多田の当時の経済力からすれば、原判示金額程度の裏金を保有していたとしても、あながち不自然ではないものと思料される。そこで、以上に多田の供述等関係証拠を併せると、被告人が原判示現金を賄賂として受領した事実を認めることができる。ところで、右現金に端数が付いている点、賄賂金としては通常の場合と異なるので付言するに、前記原判示第二の四の事実について考察したところによれば、多田はその事実においても、端数のある金員の支払を実行していることが確認されるから、その事跡からしても、標記事実において、前記四の(イ)に記載の割引により入手した金員の金額と全く一致させた金員を供与したことに、不自然なかどは認められないものというべきである。

(四) 同第二の二の収受の事実について

原判示小切手を、他の金額一、〇一五、〇〇〇円の小切手一通と同時に受領した事実は被告人も認めているところ、原判示小切手の受入についてはもとより、その縁由とされた前記一の2に記載の約束手形三通の割引による入金についても、畑中会社の会計帳簿にその記載は全くない。ところで、多田は、右金額一、〇一五、〇〇〇円の小切手による金員は工賃の前払であり、後刻返還を受けた旨供述するので、多田のこの事実に関する操作は、いささか技巧に過ぎるかのごとき外観を呈している。しかしながら、結局この事実に対する被告人の弁解も虚偽であると断ぜざるを得ないことは前叙のとおりであり(その弁解の態様自体においても、多田が一七〇万円の金員を入手するために何故主張のごとき複雑な方法をとつたのか、その理由を解明する証拠もなく、左袒し得ないものがある。)、何よりもまして、多田が、前記四の(ロ)に記載の手形割引により入手した金員の金額と全く一致させた金額の原判示小切手をわざわざ右金額一、〇一五、〇〇〇円の小切手とは別個に振出し、しかもこれらを同時に交付している点において、原判示小切手のみ賄賂であるという多田の供述には客観的な裏付がある。したがつて、この点において、原判示小切手に関する限り、これを被告人が賄賂として収受したものである事実を確認することができる。所論は符二二号総勘定元帳(昭和三七年)(多田商店)中の関係記帳の矛盾を指摘し、これを援用するが、同帳簿中のその他の関連記載等に照し、また右に説明した理由により、これとても右認定を左右するに足るものとは解せられない。

七  結論

以上を要するに、結局原判決挙示の証拠によれば、被告人に対する原判示事実全部を認定することができ、原判決の認定に合理的な疑いを挾む余地は存しない。原判決に所論指摘の事実誤認ないし法令の解釈適用の誤りは認められず、論旨は理由がない。

第二、控訴趣意第二点、法令の解釈適用の誤りの主張に対する判断

一、控訴趣意の要旨

所論は、要するに、被告人は、法令上も、また慣行上も原判示収賄についての職務を担当する権限を有しなかつたものである。仮りに原判決が慣行上の職務権限があつたと認定したものとしても、本件においては、それは執行機関の職務権限に抵触するものとして地方自治法等の法令の規定や精神に反する違法な慣行であるから、正当な職務権限の根拠とはなり得ない。したがつて、右の理由からしても被告人は無罪であるのに、これを受託収賄罪に問擬した原判決は法令の解釈適用を誤つたものであり、破棄を免れないと主張するものである。

そこで、以下に原判示鯖江市における市庁舎建設特別委員会ないしこれに関する被告人の活動等の事実関係を証拠に基づいて考察したうえ、当審の見解を表明することとする。

二、市庁舎建設特別委員会設置の経緯とその性格、実態等

(証拠略)を綜合すると、

1、従来より、鯖江市において重要な事業等を行う場合には、その適正、円滑な遂行を期するため、市長から議会の常任委員会あるいは特別委員会に対し必要事項につき諮問し、市長以下の執行機関が、その審議、答申を事実上尊重することにより、これに副つた事務処理を行うのを慣例としていたこと、しかしながら、右委員会でも、執行機関の権限は独立のものとしてこれを尊重していたものであり、執行機関と委員会の意見が異なるような場合においても、執行機関は、最終的には委員会の意見に背反する執行をなしたことはないのが実情であつたが、それは、委員会の意見が執行機関の権限を拘束するものであつたためではなく、執行機関において、結局委員会の意見を採用するのを得策としたために過ぎなかつたものであること。

2、本件市庁舎建設特別委員会は、鯖江市の新庁舎建設のための準備、研究をなし、もつて市民の総意を結集するとともに、その建設を早急に実現することを目的としたものであり、昭和三五年一月二〇日に開催された各常任委員協議会全員協議会における市長よりの設置要請に応じ、同年三月三一日開催の第四四回鯖江市議会定例会議において、鯖江市議会委員会条例(昭和三一年一〇月一日条例第二五号)四条に基づき設置されたものであること。

3、右委員会においては、建設工事費の予算、支払方法、工期その他原判決掲記の諸事実等新市庁舎建設の全般について審議がなされたこと、そして、その審議は、市長らの執行機関側から提案があると、それについて各委員から同席している執行機関側に対し意見を述べ、討議を行うなどの形式により調査、研究を進めたものであること、かくして次第に新市庁舎の建設計画が具体化されて行つたものであること。

等の諸事実が認められる。

三、被告人の地位と活動情況

原判決挙示の関係証拠によれば、被告人は、鯖江市議会議員にして、かつ議長であり、本件市庁舎建設特別委員会委員にして、かつ委員長の地位にあつたものであるところ、同委員会の構成員としてその審議等の活動に参加したのはもとよりのこと、さらに、昭和三六年九月一八日開催された同委員会において、競争入札業者の選定に関する市長らの腹案が開示された際、出席委員らは、なお委員長である被告人に諮つたうえで決定されたい旨意見を提出した経緯があり、被告人は、かかる委員会の動向を背景として、前記認定のとおり、競争入札業者の選定、指名に関し、伊藤忠を参加させるべく市長に対し積極的に働きかけたほか、他の委員と共に、建設工事の監督、竣工後の検収等に関与したものであることが認められる。原審第四回公判調書中証人山本静、同第八回公判調書中証人河野一馬、同第九回公判調書中証人牧野藤治郎、同第一〇回公判調書中証人石黒繁樹、同佐々木吉橘の各供述部分中、右認定事実に反する部分は、原判決挙示の関係証拠に照して採用できない。

四、結論

以上二、三に認定したところに基づいて考察するに、被告人が本件市庁舎建設特別委員会委員長として事務に従事したことによる前記活動は、被告人の議員ないし議長、または委員ないし委員長としての本来の職務行為とはいえないが、本来の職務に由来し、慣例上その職務と密接な関係のある行為と認められる。もつとも、本件においては、市議会の内部機関である右委員会と、市長ら執行機関との間に、少なからず権限の混同と癒着のあつた事実は否定し得べくもないけれども、なお、前記認定のごとく、右委員会の意見が執行機関の権限を拘束するものではなかつたことなどに鑑みると、前記慣例ないしはこれに従つた被告人の行為を、ただちに執行機関の権限を侵すものとして、地方自治法等の法令に違背する違法のものとまでは断ずることができない。そうだとすると、かかる行為に関して賄賂を収受した被告人の本件所為につき受託収賄罪の成立を認めた原判決の判断は正当であるといわねばならない。そして、本件においてかように解しても、その趣旨とするところは、所論指摘にかかる判例と共通であり、基本において異なるところはない。(近時の判決例としては、最高裁昭和四五(あ)一九六〇号、昭和四六・一〇・二六、第三小法廷決定――判例時報六四七号九一頁等参照。)なお、所論は、原判決の挙げた「新庁舎の設計・建設場所、指名競争入札業者の各選定・請負業者の決定・竣工々事に対する検査監督等につき審査」する職務はもつぱら執行機関である市長その他の理事者の職務に属し、議決機関である市議会議員や議長の職務でないとして原判決の認定を論難するが、原判決をみるに、右の各選定、決定、検査監督等の行為自体を市庁舎建設特別委員会あるいは委員長としての被告人の職務と判示したものではなく、むしろ右記載は、かかる執行機関の行為につき審査するところの同委員会の目的ないし性格を説明したものと解せられるから、右の主張は当らないものというべきである。また、所論は、右委員会は市議会の内部機関であるから、市長の従属機関あるいは諮問機関であるべきはずはない旨主張するところ、論理上はまことにその通りであるけれども、原判文をみるに、原判決は、同委員会自体を市長の従属機関であるとか、諮問機関であると断定している訳ではないから、この点に関する批難もまた採るを得ない。

以上を要するに、原判決には、被告人の職務に関する判示において、その措辞にやや不充分なところはあるとしても、結局所論指摘の法令の解釈適用の誤りは認められず、論旨は理由がない。

第三、結び

以上のとおりであつて、原判決には、所論指摘の事実誤認も法令の解釈適用の誤りもすべて認められない。所論は、以上に説示したほかにも、論旨に付随して種々原判決の結論を論難するが、すべて当裁判所の採用し難いところである。論旨はすべて理由がない。

なお、終りに量刑事情について一言するに、証拠によれば、被告人は、本件事犯を契機として、公職の座を失ない、前記畑中会社も倒産に至るなど、すでに軽微ならざる社会上、経済上の制裁を受けているものであることを推量するに難くないけれども、飜つて本件犯罪をみるに、被告人の刑責はあまりにも重大でありあまつさえ、終始悔悟の情を窺い得なかつた被告人の態度は遺憾であるといわねばならない。したがつて、当裁判所においても、なお、原審の量刑を被告人の有利に変更すべきものとは認め得ない次第である。

よつて、本件控訴はその理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則りこれを棄却し、なお、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

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